研究者として人として
人というのは、人それぞれ持って生まれたもの(Geneticな因子、天賦の才能)と、後天的な因子(経験、環境、教育)によって変化する要素がある。
ある人と話していて「私立大出身者って人当たりがよく、商売がうまい人が多いよね。国立大出身者って、コツコツと真面目に努力を続けられる人が多いよね。」という話になった。
研究の世界に生きていて、研究者としての成功という観点で周囲をみてみると実に様々な要因があって面白い。
自分には「オリジナルなアイデアをもとにオリジナルな発見をする」ことこそ研究だという信念(固定観念?)みたいなものがある。
これは、研究を始めた当初「研究ってなんだろう。どういう考えで進めたらいいのだろう」と悩んだ時に、ある申請書類が「独創性」を強調していたため、以来、独創的(Original)な研究を目指すことになったものだ。
独創性とは何か?
独創性については本庶佑先生のいう独創性を大いに参考にした。
また、本庶佑先生は「6つのCを大切に」と謳っている。6つのCとは
「好奇心 Curiosity をもって 勇気 Courage をもって困難な問題に挑戦 Challenge し、必ずできるという革新 Confidence をもち全精力を集中 Concentration させ、諦めずに継続 Continuation することで、時代を変革するような研究を世界に発信することができるのです」
というものだ。
まさしくその通りなのだろうと思う。
これをもっともっと強く意識したら、研究者として成功できるかもしれない。
ただそれだけではダメだろうと思う。
基礎学力(国語力や英語力、専門知識、一般知識、理系の学力)は勿論重要だ。6つのCに従えば、これらの基礎学力も必然的に必要なので上がってくることはあるだろう。ただ研究を始める前の基礎学力もとても大事だと思う。
他に何が大事か?
僕は、人柄(政治力、教育力、感じがいい人かどうか)ではないかと思う。
ある学会誌の目次をみていると、知っている先生がCorresponding authorとして論文を発表していた。その雑誌は、インパクトファクターは2とか3くらいの雑誌であった。CNSなどのハイインパクトファクターしか狙わない、それこそがサイエンスだという考えもあるだろう。しかし、その先生をみていて思うのは、人柄と教育力だ。人柄がいいから、そのような雑誌のEditorに選ばれ、雑誌やコミュニティを盛り上げるというミッションが与えられる。人柄と教育力があるから、学生がたくさん集まる。人柄がいいから、要職を任せられる。そういう部分はあるだろう。逆を言えば、タカビー(高慢)であったり、人当たりが悪ければ、いくら勉強ができても、コミュニティの中で生きていったり、若い学生を教えるのは難しいということだ。いやこれは間違いかもしれない。権威とカリスマがあれば、少しタカビーなくらいがいいかもしれない。
しかしだ。。。。感じが悪い人というのは、誰も寄り付かないし、あらゆる人間関係を壊してしまう。そういう意味で、感じがいいかどうかは極めて重要な要素だ。
少し前にした「敷居の高い低い」という話にもなる。人当たりがいい「敷居が低い」と人は集まる、しかし優秀な人の割合は減ってしまうかもしれない。優秀な人は、優秀な人ばかり集まるところに行くかもしれない。
教育にしても、学力の低い学生に対しては、先生の人当たり、人柄が重要であり、率直にものを言う先生や権威の上からの物言いは、現代だと即アカハラで訴えられかねない。そういうご時世だという。(私自身も、様々な学力の学生を教えたり、様々な学力の教官(研究者)と職場をともにしたことがあり、そういう意味で大変苦労したり苦い経験がある。)
要はどのようなキャラクターであるか、どのようなポリシーで生きているかが重要なのだ。
学歴至上主義なのか、業績至上主義なのか、みんな仲良くなのか、金銭至上主義なのか、である。バランスや良い所どりもあるかもしれないが、専門職という観点や、どのような世界に生きているのか、つまり、同じゴルファーでもツアープロなのかレッスンコーチなのかということだ。
まあ、私のように特別に勉強ができた訳でもなく、一流の学歴があるわけでもなく三流の学歴しかないものの、運良く人徳に優れた研究者のもとで育ち、特別に感じが良い人でもない人間にとって「6C」の教えというのは唯一の教訓なのである。もちろん人当たりも見方にしないとやっていけないと思う時も多かったり少なかったり。
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