貧富についてツベコベいいます。
ハーバードはお坊ちゃんお嬢ちゃんの集まり
この記事では、ハーバードのお坊ちゃんお嬢ちゃん論について、自分の経験をもとに論じて、今後の判断と行動の指標を示したい。
ハーバードではお坊ちゃん、お嬢ちゃんが多い。自分を棚に上げていう。ここは私立であり、学部は金持ちかつ成績優秀でないと入れないが、ポスドクとか職員はアホでも入れる。みなハーバードの所属するだけで、なにかエリートになった気分になり、気持ちよくなるから、低賃金でもハーバードの所属する。何らかの形で所属できたらラッキーなんだろう。
かくいう私も、来る前はハーバードの自分が来れるなんて、夢物語だった。超一流のところと思っていたから。
しかし来てみると現実は違う。特に私の周りでは。要するにお坊ちゃん、お嬢ちゃんとか、自尊心(エゴ)を満たしたいヒトが集まってくるのだ。
以下参照。
慢心しきったお坊ちゃん症候群
「大衆の反逆」(オルテガ・イ・ガセット著)を読んで
「科学者心得帳 科学者の三つの責任とは」(池内了、みすず書房 2007.10.19発行)を読んで、「大衆の反逆」なる哲学書(?)の存在を知り読んでみた。20世紀のはじめに書かれたものであるが、現在でもその通りと思えることが多い。特に、”「慢心しきったお坊ちゃん」の時代”、”「専門主義」の野蛮性”の章は、産学官連携や大学改革が進み俗世間との付き合いが増えた現在においては、全く当てはまる。ここで言う大衆とは労働者等の大衆を意味するもので無いようで、所謂専門家が大衆の代表として書かれている。
「専門家は自分の専門領域については良く知っているが専門外のことについては、無知であることが多いし、専門を深彫りするために専門外の勉強することもそれほどは無い。それにも係わらず、簡単な耳学問から、専門以外のことでも、あたかも何でも知っているかのごとく発言したがる。」というようなことが記述されている。ここで言う専門以外とは、専門に少々近い分野のことである。ここが誤解の始まりだとは思うが。例えば、研究開発⇒実用化の流れにおいては、方法論が異なる(残念ながら、ベストの技術が市場を制覇するとは限らないのは事実)。研究開発の専門家が、実用化について見識を喋りたがるようなもの。
特に、所謂”知識人”や”専門家”が少ない地方において顕著である。役割の違いを理解せず、”専門家”を偉いと思っている取り巻く人々の勘違いが、一番の根本であるとは思う。地方では、”知識人、”専門家”とは大学の先生や公務員等が代表であるが、偉い人の言うことだからと表面上は感心することが多い(聞かされた人によっては内心は馬鹿にしていることもあるのだが、決して口には出さないため”専門家”は気がつかない:慢心しきったお坊ちゃん症候群)。
それでは、所謂”専門家”はどうすれば良いか? 勿論自分の専門領域以外であっても意見を述べることは自由である。あの有名なプロゴルファーのタイガーウッズでさえ、アドバイザーとして自分より腕の劣るレッスンプロ的なキャディを雇っていると聞く。そこで、”専門家”は、このレスンプロであると認識して話すことが必要であり、又聞かされる人もこのように考えて拝聴することであろう。
自分も”専門家”の範疇に属すると考えている。仕事柄、自分の専門以外のことを聞かれることが多い、そのときには自分はタイガーウッズのキャディみたいなものと認識して話すようにしている。
http://www10.plala.or.jp/yuematsu/1hitokoto/hitokoto3.html
ブログ「私の一言」より
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